Friday, January 20, 2006

2005年01月07日医王寺権現熊野神社

祭神 

伊邪那美命
大山祇命
市杵島姫神
多岐津姫神
速玉男命
菅原道真
建御名方神
事解男命
保食神
多岐理姫神

高倉院の御宇、養和元年秋、小松重盛兼ねて信仰の唐土育王山に似たる名山なりとて、紀伊國熊野権現を分祭し、当山と当村とを社頭とし、末社小社に至るまで美々敷飾立て、中宮新宮等を建立して、社家寺院馬場の左右に軒を連ね、東南の山々を日月両輪に像り、又金子一千両と太刀一振とを奉納し、繁華の社なりしが、平家没落の後、漸々衰微して社家寺院も次第に滅し、しかのみならす元亀年中兵火にかかり、残らず塵灰となれリ、然るを慶長12年領主多久長門守安順、往古の大社空しく廃頽せる事を歎き、社殿を再建して祈願所とせり、夫より累代領主の崇敬厚く、社殿の改築祭費の寄進絶ゆる事なく、以って明治維新に及へり、明治8年村社に列せらる、祭神大山祇命外六柱は無格合祀に依り追加す。

大正2年7月神饌幣帛料供進指定
氏子戸数94戸

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